ジャンルの壁を越える芝居

大阪松竹座「夢の仲蔵千本桜」
松本幸四郎という一人の舞台人の強烈なメッセージや。
体裁は歌舞伎を題材にしているが、歌舞伎やない。かといって現代舞台でもない。「夢の仲蔵」という一つの舞台。
幸四郎というと、「勧進帳」、「ラ・マンチャの男」。もうええわ言うぐらいにしつこくやってる。噂ではギネスブックを目指してるらしいな。元をただせば高麗屋という非常に由緒ある歌舞伎の名門。そこにミュージカル、現代演劇、テレビドラマなど様々な種類の舞台のエッセンスを注入してたどり着いたのが「夢のように儚い一瞬の芸をお客様の胸の中に永遠に残したい」という想いなんやろう。
古典としての歌舞伎は大事よ。伝統として保存すべきものや。オリジナルというのはいつの世にも基礎となるからな。この芝居も「義経千本桜」という浄瑠璃の名作中の名作があってはじめて成り立つ。が、一方で、芝居は生き物である。時代に合わせて変遷し続ける。それは演劇史を紐解いてみてもわかること。古典だけで硬直化したままでは生きた化石としてのみ存在するが、歌舞伎は時代を超えた普遍性を備えている。それは情であるとか絆といった人間の本質的な部分だ。ただ見せ方が時代についていかなければ見物からは見放される。それが現代の歌舞伎、ひいては能・狂言文楽などの古典演劇の現状だ。一部のマニアックなファンにのみ支えられて生き続けている。能・文楽は世界無形文化遺産に登録されたと喜んでいる場合ではない。それは「保護しなければ失われてしまう」ということも意味するからだ。
劇中にも「見物」という言葉が繰り返し出てくるが、幸四郎あるいは勘三郎猿之助といった歌舞伎俳優ほど観客を意識した人はいないだろう。多くの古典派の方からは眉をひそめられているが、そういった保守的な意見に臆することなくひたむきに現代に通用する歌舞伎作りに力を入れている彼らは芝居の本質を見極めている。誰も見なくなったらおしまいなのだから。
通常の歌舞伎興行は「見取り」という形式がとられている。本来、全編を上演すべきであるが、中には冗長な部分もあるし、何より上演時間が長すぎるのが足かせとなっている。そこで、見所のある場面だけをピックアップしてダイジェスト版として上演されているのである。今回の「義経千本桜」でいえば「渡海屋・大物浦」「すし屋」「四の切」などが頻繁に上演されている。これをさらに絞って、例えば、大物浦の場なら、幕切れの知盛入水のシーンだけを演じて劇中劇としているのが「夢の仲蔵」シリーズの特徴といえる。これは現代的に言えばPVにあたるのではないか。こういったPV的なシーンを見て当然、筋は分からない。けれども、歌舞伎の面白さを味わうことはできる。四の切の宙乗りをはじめとするケレンや、吉野山の衣裳や舞台装置の美しさ、渡海屋の相模と入江の魚づくしのイレ事など。そういうのでいい。とにかく観客層の底辺を広げることだ。そういう意味では「夢の仲蔵」は歌舞伎をほとんどあるいは全く観たことがないという初心者に勧めたい。
幕間にロビーで筋書を読んでいた。隣に僕と同い年ぐらいの女性が二人、軽食をとりながらおしゃべりをしていた。聞くつもりはなくても聞こえるんやからしょうがない。一人はよく観ているようで今月は博多座にも出かけたらしい(さすがに僕もそこまではしない。しんどいもん)。もう一人は全くの初心者らしい。多分、松本幸四郎市川染五郎というネームバリューのある二人の芝居やからと思って連れてきたんやろうね。こういう地道な活動が着実に底を広げるんよ。で、その初心者の方の言葉。
染五郎がカッコよかった!」
「(四の切の)狐がかわいかった」
「着物がきれい」
「横にいる三味線の隣で歌ってる人(竹本のこと)の言うてることが全然わからへんけど、何となく分かったような気がする」
「劇中劇の間の楽屋の話がなかったら寝てたかもしれへんけど、アレがあったから全然眠くならへんかったわ」
「1時間半もやってたん? そんなにあったんや。全然長くなかったで」
「楽屋の建物(大道具。大迫を利用して1階部分と2階部分を上下させて演出効果をあげている)がすごいビックリした」(実際、大迫を初めて見る人は大概驚く。アレが3世紀も前からあって日本から世界に広まったという説明を付け加えるとさらに驚く)
これでエエと思うよ。興味をもってくれることから始まるんやから。次に千本がかかった時に「前にPVみたいなん見たからちょっと全部観てみようかな」って思ってくれたらエエんや。人と人との間でもそうやけどファーストインプレッションが大事なんや。
もちろん、芝居好きも楽しめる。様々な歌舞伎のレパートリーからのパロディ。すし屋の権太が実母に強請りに来る場面を借金取りが演じたり、片岡秀太郎扮する森田勘弥が逃げる里好上村吉弥)を引き止めるのに「八重垣姫をやらせてあげますから。ああ、濡衣も。何なら二役両方やらせてあげますから」というのは思わずワロタ(「本朝二十四孝」の十種香の場に登場するが、両方が舞台の左右に分かれて同時に登場するから兼ねるなんて無理!)。あんまり周りで笑ってる人はいてなかったから初心者が多かったんかな?
知らない間に森田座の事件は展開していく。その展開と劇中劇の入れ込みが巧い具合にマッチしていて効果をあげている。
染五郎の踊りも見られる。知らない間にずいぶん巧くなってる。しばらく観てなかったからなあ。だてに家元やってへんな。
そして、クライマックスの、(ヒ・ミ・ツ)。幸四郎の一番の見せ所ですね。
楽しかった。理屈抜きでも。ホンマ、歌舞伎を観たことがない人に勧めたいで。もうじき終わってまうけどな…。

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