阪神大震災から11年

Blogランキングの順位を見る

世間では10周年を区切りに一段落ついたみたいで、神戸市も予算削減したらしいし、風化していくのはしょうがないとはいえ、僕の中では何年たっても変わらない。イチローも言うとったらしいな。
今の住まいからは震源地が見渡せる。今朝も昨日と同じ朝やったけど、やっぱり思い入れというのはある。
当時、まだ実家にいたので揺れはしたが被害という被害らしきものもなくて、せいぜい物が落ちてきたとかそういう程度。だから最初は、まあ大きな地震やなあ。それにしても朝早くから。というのが率直な思い。前日までセンター試験があって、代休で休みやったんよ。そう月曜日。もう1回寝てもええけど今までにない揺れやったし、いちおうどれぐらいの大きさやったのか調べようと思ってラジオをつけた。当時はまだ自分の部屋にテレビなんかなかったからな。
最初はラジオも普通やったけど、大阪からやったから。事があきらかになっていくにつれてこれはラジオではアカン。そう思ってテレビのある居間へ降りたんよ。ヘリからの映像が流れていた。
その日から身の回りで変わったこと。翌日に学校へ行ったら何人か来ていない。というよりも来られない。そういう空席がやけに目立つ。そんなに数は多くないのに。本人も家族もケガとかはなかったみたいやったけど。
ラジオが変わった。JFNのくだらん番組は聴く気もしなかったのでたいがいKBS京都α-stationkiss-FMを聴いてたんやけど、kissがこの日を境に全然違う局にしてもた。しばらくは施設自体が被害を受けて、それが僕の生活に直接与えた影響といえば大きな被害にあわれた方に怒られそうやけど、電波に乗せられてくる状況とかその空気が重かった。けど、これは目をそらしたらアカン。間近で体験できないぶん、できるだけ近いところで二次的な体験をしておきたい。
しばらくしてから僕は東京へ行くことになり、その前に神戸の街を見ておきたかった。初めて行った神戸は傷だらけやった…。2ヶ月近くがたっているのに。テレビでしか見たことがなかったメリケンパークとかそういった海辺は地面が波打っていて歩いている人たちも春先の陽気にもかかわらず寒さにふるえているよう。ラジオから伝わってきたのと同じ空気が漂っていた。


2003年。阪神が優勝して神戸でもパレードをした。元町まで見にいったついでに商店街を歩いた。WINSでJBCの馬券を買うのが目的の一つやったんやけどw 表通りはきれいになっていたけれどもちょっと裏路地へ入るとまだ跡が残されているところもあった。商店街からすこし坂を登ったところから港を眺めるとまだどことなく暗い影が残っている気がした。雨でずぶ濡れになった僕は坂の上にある銭湯へ入り、馬券を買ってきたJBCの中継をみた。スプリントは外したけどクラシックは的中。少しでもこの街に活気が戻るように、そう願って払戻金で神戸牛を食べてきた。あの時のカネは役に立っただろうか。カネで全てが解決するわけやないけど、なくても事を起こせへんしな。まだ復興は終わってへんと神戸市にも言うてやりたい。行政なんか信頼ゼロや。


まあそういうことよ。