團菊祭

久しぶりに歌舞伎座をきっちり観てきた。
團菊祭は好きな興行の一つ。
まず、菊五郎劇団の芝居は理屈じゃなく面白い。趣向の凝らされた立ち廻りに代表されるように魅せる芝居。そして、世話物の楽しさ。やっぱりずっと沈んだ気持ちのままじゃああんまり気分も晴れないし。
昼の部は、立ち廻りこそないものの「権三と助十」で楽しませてもらった。芝居としてはそんないいデキの本やない。見せ場とかそういうものはほとんどないし。ただ理屈抜きに楽しめる。
團菊祭が好きな理由はもう一つ。成田屋。当代の音羽屋と成田屋。まるで正反対の性格でかたや生真面目でかたや奔放。でもそれが不思議と混じりあうのが團菊祭。
理屈抜きに楽しめるばかりではただのコメディ。やはり演技を魅せてこその役者。その魅せるということに頑ななまでの追求心を持っているのが成田屋
病に倒れて久しくようやく復帰かなってお家芸の「外郎売」を出す。これは見ねばならんだろ。ということで昼の部はもうこれが見たいがためだけにヤフオクまで駆使して何とか入手した。できればもっと早く行きたかった。月半ばで倒れたらかなわんからな。でもそれは杞憂に終わった。
揚幕での第一声から場内は拍手に沸く。花道からの出。七三で見得を切ると観衆のボルテージは一気に高まった。成田屋が帰ってきた。いつもの長台詞も心なしか倒れる前より口跡がよくなったような気が。
意外だったのは「江戸の夕映」。大佛次郎が十一代目團十郎、七代目梅幸、二代目松緑に書き下ろした新歌舞伎を孫の海老蔵菊之助、当代松緑が演じる。朝から幕見に行列ができていておやっと思ったけど、見てみたら納得。いい。三人ともよくなってる。しばらく江戸歌舞伎から遠ざかっていたのでほとんど見る機会がなかった彼ら。海老蔵は襲名もあったし見ていたが、考えて演技をするようになってるんとちゃうか。漢字も読めるようになったんとちゃうかw 三幕目の蕎麦屋で元の主家が追い出された噂話をされている場面。小六の心の移り行きが呑みっぷりに出てきているし、その後の大吉とのやりとりも武士の意地とお登勢への恋心に揺らぐ心情もいい。
それよりも驚いたのは松緑がずいぶん役者らしくなってる。三幕通してのカギとなる大吉を時にはおかしく(これは前からよかった、というか元々お笑い系やろ、あの顔は)、時には人情味溢れた人物として演じる。芝居を見ていて久しぶりに純粋に感動した。
ヤマ場で大吉の差し出す盃を小六が受け取る場面。まさに固唾を飲んで見守るという状況。ゆっくりと動く小六の心を表わすように手を大吉の方へ。ここで間があってグッと一息に飲み干す。この静と動。ええなあ。
この後の明かりはあんまり好きじゃないけど。いかにもという感じで。クサイ演出しやがって。ただこれがないと「夕映」がないからなあ(苦笑)。
ところで、細かいところも面白い。大佛次郎の考えが表れているようで。二幕目。松平掃部が帰宅してお登勢が淹れた茶を飲む。ゆっくりと茶碗を回し風流に味わいながら飲む。飲み終わった後も両手で包み込むように茶碗を持っているその姿は洗練された通人。対する官軍吉田逸平太は片手で茶碗を取り上げて一気飲み。作法も知らぬ野蛮人め、というところか。そういう江戸マンセー的なところはクサくもあるけど書きたかったんやろうね。
ところで、場内で外郎を売ってなかったみたいなんや。絶対に儲かると思うのにな。