暇に任せて

ふと本棚で目についた浅田次郎のエッセイを読んでみた。
いや、浅田次郎というのは凄い人やなと思う。
最初の方で「私は運っていうのはあまり信じない」と言い放ちながら、後の方では「ツイてるやつに乗るっていうのは、バクチの定石として、これはあります」と語ってしまう。
あるいはレースを絞れと散々説きつつ、一番最後に実は先日全レースを買って大儲けしたという話をする。
まるで説得力がない。それでいて当人は大きく勝った馬券があったりするわけだから、これはもの凄く運のある人だろう。そもそも自営業をやって物書きになれたということ自体、類い稀なる強運の持ち主であるという証拠だ。あんなもんなろうたって誰でもなれるもんではない。
なかなか頷ける説も書いてあるんよ。自信のないところはケンしろとか、馬券を買わなくても毎週レースは観なさいとか。ただ、これらを具体的に実践する方法については精神論レベルしか説かれていない。紙数の半分ぐらいは自慢話か一般的な抽象論かで占められている。
さらには、思いつきで出してきたデータもどきを堂々と出版してしまっているのも痛い。日曜に競馬の終わった後に口述筆記でという手抜きな方針で出来あがったというのも大きいとは思うが、そこはほれ、一応流行作家として自分の名前で本を出すのにデタラメなことを載せてそのままでいいのかと。
一例を挙げると、複勝について、複勝のオッズは安くて単勝との差は少なくとも4倍か5倍はあるとのたまわっておられるが、いやいや、単勝で5倍の馬のオッズが1.0倍とか1.3倍ということはあるまい。冷静にならんでも、普段から本命サイドのオッズを見ていればアホでも分かることだが、氏は万馬券狙いのタイプなので見ておられないのだろう。が、出版するのならその件はよくデータを見て、校正の時に直すべきなんじゃないのか。少なくともワシが同じ立場ならよう出さん。
あるいは、最終は荒れると一方的に決めてかかっているが、データを拾うと次のとおり。最近の成績ではあまりに可哀相なので温情もこめて、書かれた当初の1996年の年間データで見てみよう。

1996年の年間平均配当
単勝 901円
馬連 4,417円
1996年の最終レース平均配当
単勝 903円
馬連 4,775円

ほぼ誤差の範囲である。(もっと逆転現象が起きていれば面白かったのにな。)
いくら口述筆記とはいえ、あまりに杜撰すぎるし、1冊の本に対する姿勢が垣間見られるのではないだろうか。氏はプロローグで「仕事が手一杯で」と言い訳めいたことを書かれているが、これはプロの仕事ではない。できないのなら断るべきだろう。こういう本を見ると、他の作品も推して知るべしとなってしまう。
言いたい放題、口からでまかせで書き散らしてはいけないとは言わない。しかし、氏の立場であるとか、これが金を取って買ってもらうということであることとかを考えれば、そんないい加減なことではいかんと思うのだ。
本のタイトルはあえて言わない。以前に一度読んだ時にもがっかりしたが、時間をおいて再読してもがっかり。昔ワシの師匠が「浅田次郎? ヘッ」と鼻で嗤って「そんなもんより、漱石鷗外を百遍読め」と言っていたが、なるほどと実感した。