生きることなあ、難しいよな。

村上春樹海辺のカフカ」読了。思ったより時間がかかったのは就寝時間に制限つけてたのと、何冊か同時に読んでたからかな。でも、今読んでいた中では一番おもしろかった。そういう意味でも寝不足になるのはわかっていたこと。
最後まで通して読んでみてようやく理解できたこともあれば、今だに理解できないこともいくつかある。例えば、ナカタさんの中から出てきたのは意志、それも邪悪な意志だというのは分かる。で、たぶんジョニー・ウォーカーさんだろうというのも予想がつく。ナカタさんを利用して「入り口の石」を開けた向こうの世界―これはおそらく死の世界―に行こうとした。けど、なぜそこへ行かなければならなかったのか? 意識も記憶も時間の流れも関係ない死の世界に。
生きることとは記憶の蓄積。それを持たないナカタさんは生きていながら死んでいるも同然だった。佐伯さんは書き残すことで記憶を蓄積してきたが、書くことでしか蓄積できなかった。二人が出会うことで互いに補完しあい、ナカタさんはようやく生死の境界線を越えることができ、佐伯さんはナカタさんの開いた入り口からようやく死の世界へ向かうことができた。もちろん、彼―甲村青年―を田村カフカ君に見いだし、田村少年の記憶の中では生き続けるのだが。それは実体としては無になるが観念として生き続けることでもある。ナカタさんも星野さんの中で生き続ける。死者の意志を記憶として受け継いだ二人は気付くとずいぶん成長していた。
星野さんは最も印象に残った。中日ドラゴンズの星野、というより今や阪神タイガースの星野だが、星野仙一からとられた名前だからではない。僕の生きてきた道のりと似ているからだ。正直、少し前まで僕は自分でもパッとしない存在だと思っていた。何かとりえがあるわけでもなく、本も読まなかった。正確に言えば、やることがないぐらい田舎な実家にいた時は多少は読んだが、大したものは読んでないし、読めなかった。トーマス・マンの「魔の山」なんかは何度も読もうとはしてみたが結局、24になるまで読み通せなかった。理解不能だった。大学に上がり、東京へ出てからは年に数えるほどしか読んでない。他人と同じでありたくはなかった。だから流行りの歌もあまり聴かなかったし、進んで追いかけようとも思わなかった。ファッションも他人と同じなんて考えられなかった。でも、そうやって逃げた先は結局、同じようなつまらないところで、ほとんど価値なんてなかった。流行のポップソングからの逃げ道は流行ってないポップソングで、奇抜な格好をしていたわけでもなくただ流行から隠れていただけだった。そうやって無為に―本当は無為にこそ意味があったとは思うが―時間を費やしてきた。そして、28になる直前に倒れた。そこから僕は変われた。活字に飢える。芸術性の高いものに憧れる。「時期」がやってきたのだろう。もうここ数年はマンガやくだらない雑誌しか読んでいなかったのに書店でふと手に取ったカントが、ゆっくりとではあるが理解できた。たまたまもらった招待券で大阪フィルハーモニーのコンサートでマーラーの6番を聴く。何と心に沁みるではないか。もう逃げ回るのはやめだ。山を前にして迂回はしない。登りつめてやろうではないか。それは病気のほうも同じ。逃げていては治らない。自分の意志で立ち向かうしかないのだ。思想書は難解だ。南海キャンディーズを理解するぐらいに難解だ。でもひとつずつ越えていくことで何かが見える。難しい本を読んだという自己満足ではなく、生きていくための方向性とかそういったものが。くだらないと思う物も手を付けてみる。食わず嫌いではなく、自分で確かめて初めて批判ができる。試しもしないものを「つまらん」「意味が無い」と斬り捨てるのは簡単だ。しかし、本当にくだらないものをくだらないと言うためにはそれなりの基準が必要になる。その基準になるもののレベルを上げていく。そういう作業というのは困難が伴うものだ。音楽でも文学でも、あるいは実生活の上でも。美味いものを食べると今まで普通に食べられていたものが食べられなくなる。贅沢といわれるかもしれないが、判断基準のレベルをあげるというのはそういうものだ。本当にいいものを理解すること。それは価値基準を底上げしていくことから可能になる。このように成長していく自分を実感できることがある。星野さんもまさに同じ思いだったのではないだろうか。
成績表が「可不可全集」と言われた僕は10年かかってようやくここまで辿りつけた。まだ道のりは遠い。たぶん、しばらくしてからまた「海辺のカフカ」を読み返すだろう。その時、今は理解できなかったことが理解できるようになっていること。そうあれたらなあと僕は本を閉じる。そして、次の1冊へ。

海辺のカフカ (下) (新潮文庫)

海辺のカフカ (下) (新潮文庫)