フロイト「夢判断」

夢判断 下 (新潮文庫 フ 7-2)

夢判断 下 (新潮文庫 フ 7-2)

やっと読み終わったなあ。上巻は3,4日で下巻は3週間。いかに集中すれば読むのが速いかということよ。というよりも普段、いかに集中していないかということかw まあいっつも気を張り詰めていてもしょうがないんやけどな。糸が切れてまうよ。とはいえ緩みっぱなしもなあ(苦笑)。
元々、「夢占いがしたい」とかいうような俗な理由で読み始めたんと違うから読み通せたけれども帯のアオリ文句に「実は最後まで読んだ人は意外と少ない」って書かれていたようにそこらへんの夢占いのハウツー本と同じ感覚で読み始めたら最初の5ページぐらいでやめるやろな。こっちは夢判断そのものよりも、その過程での心理学的なことを知りたかったからかえってよかった。いきなりズバリやったよ。
いくつかの疑問が解消できたし、新しい疑問もいくつかできた。その中でも、自分の思いを確認できたことがあった。それは「記憶は消せない」ということ。正確にいえば、一度刻まれた記憶を二度と甦らないように封印してしまう、あるいは消去してしまうことは不可能であるということだ。夢が作られる過程で普段は意識にのぼらない過去の記憶、それもとりとめもないものが再生されて組み合わされている。あるいは神経症での幻覚だとか妄想も同じことの繰り返しよ。まあわからんこともない。確かに全く新しいことを創造するのは無理やろうな。覚醒している時でも新しいものを創造するいうても今までの経験を材料にバラして組み直していくんやからな。経験にない全くの新規事項を作り上げるなんていうことは不可能よ。
そういう積み重ねがあってパニック発作とかになるんやろうな。過去の発作の記憶が何かの拍子で再生されたりして。パニック障害を治すのに、過去の発作の記憶を消去しようとしたり、記憶の上書きをしようとしても無理なんやろ。ライブドアが使ったデータ消去ソフトでも使わないとなあw 人間の記憶や心というのはそんな簡単なもんやないということや。だから、パニック障害を克服するためには「治す」という意識よりも「共存」していくという意識の方が大事なんかもしれん。いつも近くにいるとかそういう感覚が。パニック障害や発作という存在そのものを意識しないで生活していくということやろ。
無意識とか意識とかいうもんや比喩的な「検閲」作業なんかについてはもうちょっと他の本も読んで考えてみたいけど、まあそれほど大きく外れてもいないんとちゃうんか。ひょっとするとズバリかもしれんしなあ。自力で判断するには自分の手持ちの材料が乏しすぎて無理や。そういう意味ではユングとかもみてみないとな。王道やしな。河合隼雄とかもな。
そういうことやし、ミーハー気分で読もうと思ってる人にはすすめへんよ。タイトルと出版社や書店の営業に騙されたらあかんということや。細木数子の横に並べてる悪質な本屋とかもあるしな。そこらへんは気をつけていかないと。


まあそういうことよ。