伊坂幸太郎「重力ピエロ」

重力ピエロ (新潮文庫)

重力ピエロ (新潮文庫)

ロスタイム往復3時間で読んでもた。
この作品より前の「オーデュボンの祈り」「ラッシュライフ」とはちょっと路線が違う気がするんや。
前の2作はどっちかというとミステリー色が濃くて、謎解きで読んでも楽しめる。その分、そこから何か得るものがあるかというとそうでもない。
ところが「重力ピエロ」に至っては、謎解きはあくまで補助要素。その先に伝えたいことがあって、「本当に深刻なことは、陽気に伝えるべきなんだ」。
犯罪がどうのとか少年法がどうのとかそんなんは瑣末なことで、家族のあり方、そういうもんが、まあ、そのう、非常にこう掛布です。(おっ、頭の薄いタレントがきよったで)
そういう意味でも親父の死まで書いてることは意味があるんやろうと。「意味なんてない」なんてウソや。伊坂作品に意味のないことはほとんどない。ムダがほとんどない。作品自体に意味がなかったら、そんなん書く必要もないやろ。
強姦とか殺人とかそんなもんを超越した、もっと大事なもんがある。それを現代人は忘れてるんやという指摘。というても人を殺してええというわけではないけどな。だからこそ自首すると言い張る結末にしてるわけやろ。でもせえへんかったけどな。まあええことよ。


(ここからは完全なネタバレで)
それにしても謎解きの要素はぬるかった。ラギの正体とか夏子さんとか読んでたら、作者は隠してるけど、分かるわ。かなり早い段階で。放火の犯人もすぐに分かったわ。もちろん、遺伝子が関係してるのも、そうや。朝日不動産の時点でな。
でも、それが(ラギを除いて)さほど重要ではないというのが大きかった。極端に言えば、遺伝子やなくてもええと思ってる。今はな。そういうわけで、補助的だと先に書いたわけだ。
その辺が簡単につながった時点で「あーこれはウワサほどでもないな」と思ったけど、「じゃあその遺伝子と放火のつながりがわかって、犯人も読めたことで終わりか?」と。それで終わったらそれこそ三流以下の推理小説やろうと。
そこもまあ予想通りというか期待通りというか、犯人がわかっておしまいというよりもその先が大事やということで、その終わりの何十ページかがあるがために、伊坂氏はミステリー作家の領域から完全に抜け出したといえるんとちゃうか。
そして、もう一つ。「本当に深刻なことは、陽気に伝えるべき」というのは、今の日本で大事なこと。どれだけいいことを書いても、どれだけいいものを作っても、それが「面白くない」と全く見向きもされない。必ずしも「陽気」=「面白い」というわけではないけれども、陰気なものは手をつけられない。迎合するわけではないんやろうけど、せっかく書くなら意味のあることをしたいやろ。商業的になるとそれはもう芸術ではないとかムチャクチャな考えをもってる頑固モンもたくさんいるけど、手に取られないようなもんはオナニーでしかない。少なくとも現時点では。メンデルみたいに後の時代に認められるかもしれんけど、それでええんなら、まあええんとちゃうか。


で、帰りに読むものがなくなったから東京駅で買ってもた。

山椒魚 (新潮文庫)

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山椒魚は悲しんだ。