石原慎太郎「太陽の季節」

太陽の季節 (新潮文庫)

太陽の季節 (新潮文庫)

表題作だけ読んだ。今回の目的からすればこれで十分やけど、まあせっかくなので続きも読むよ。
さて、確かに問題作やろうな、時代を考えたら余計に。そして、青いよなあ。まあ齢が齢だけに仕方ないところもあるけど。比較対象がアレなんでかわいそうなんやけど、「カラマーゾフ」読んだ後にコレ読んだら恋だの愛だのまるで幼稚に感じてしょうがないんよ。全部、自分中心。ジコチュー。それは最初のバスケのスタイルにも表れてるやろ。ボールを持ったらパスせずそのまま。ボクシングやっても自分だけの世界に酔いしれて、挙句には一人の女を愛するかと思ったらそれは自分の欲望のおもむくまま、サディズムな願望を満たすためのわがままなもの。
都知事!(あえて先生!と呼ばずにおこう) 最近の若者は自分のことばかり考えてロクな世の中じゃありあませんよね!
構成とかそういうものは悪くないと思う。設定に関してはこれはこれでありと思う。ただ僕なんかとは生まれ育ちも住む世界も全然違うわな。どっちがいいとかそういうのんじゃなくて。かたや葉山でヨットを乗り回して、かたや中古の車でピーピー言うてる(苦笑)。あっちは政治的右翼、こっちは(野球の)守備的右翼。それぐらい違いがあるということよ。
ただ、一つだけ言わせてくれ。博打は勝つとか負けるとかそういう問題やない。勝つのが分かりきっていたら面白くない、それは分かる。けど、そんなんほんの一握りの不幸な人間だけや。勝つと分かってるのに負けることがある。これが博打。そして、負けると分かってるのに勝つこともある。これも博打。が、負けると分かっているのに素手で突っ込んでいくのはただの無謀。負け戦を勝ち戦へ持っていこうとすること、ここに博打の醍醐味があり、中毒性があるんや。それを都知事は分かってへん。こんなヤツに東京カジノ計画なんかできるわけないやろ。
まあ、そういうことよ。
読み終わったら、もう1回、文藝春秋の対談読み返して一言いわせてもらおうか。
(読後)
やっぱり偉そうやな。いや偉いんやw
ところでね、「政治家になって良かったと思うのは、やっぱりいろんな人間の姿を見ていますから、作家として長生きできていると思う」。
何か間違ってないか? 「人間として長生きできている」じゃないか。今、誰が作家と思ってる、あんたのことを。政治屋やろ、どこからどうみても。作家としては完全に死んでるやろ。何を最近書いてる?エッセイ?そんなとこじゃないのか。その点、村上龍はこそっと皮肉を混ぜてるよな、本人(石原)は気付いてへんけど。
やっぱりね、読み返してみてもこの対談、綿矢りさが空回りというか放置されてて年寄り二人の昔話に終わってる。そういう内容なんやと思えばかつてはえらい豪傑もおったんやなあということになるけど、こんなとこに連れてこられてええさらしもんやな。

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