抗争

今、僕は分水嶺にさしかかっている。
このままずるずるべったり何にも考えずに駄文を撒き散らし続けるのか?(それはそれで人畜無害なわけやけど)
それとも、「少し」ばかり考えて駄文レベルを上げていくのか?
飽きっぽい僕がこれまで長きにわたって継続してきたことがいくつかある。
阪神ファン(自称・生まれた時から阪神ファン。ただ、物心ついた時から阪神ファンなのは間違いない。)
・麻雀(最近、かなりペースダウン。でもゲームとしての面白さは色褪せず)
・競馬(気づけば10年以上。どんどんおかしな方向へ向かってるけど)
・駄文書き散らし(大学に入って以来、かれこれ10年以上、どこかで何がしかの駄文を撒き散らしている。)
要するに「何も書くな」というのが無理なわけ。
せっかく書くのなら、ただ書きなぐって放置しておくよりも、少しでも何かの足しになるようなものでも書いてみたらとは思う。
でも、長年、何も考えずに即興で書いてきた習性で、「考えて書く」というのがなかなかできないでいる。(まさにこの文章も即興で書いてるわけで)


そこで、ない頭で考えてみた。
書きたいことは何か?
そして、4つほど、まとめられそうな気がする。
1つは、情報が氾濫する現代において、それらをいかに取捨していくべきか。
2つ目は、人間関係が希薄化する現代社会について。(隣人の顔も名前も知らないという人がいるのだから驚きやけど、よく考えたらそうやったかもなあ。いつのまにか引っ越してきて入れ替わってたり)
3つ目。こころの病気について。なぜ増えるのか? 治らないのか?
最後に、人生博打。
全部を一緒くたにして書き込むのは無理やし、焦点がボケて意味がない。まとめても2つぐらい。
題材はいくつか考えてあるし、1つは実際にラフスケッチしてみたりした(仮称・「1995」)。けど、ここからが進まないんよ。普段、何も考えてへん弊害かな。これはあんまり面白いものにはなりそうにないなあとは思うけど、オーソドックスなスタイルも考えてるし、ちょっと変わった形式も考えてる。


あと2つほど、構想だけできているものもある。
1つは仮称・「夜の歌」。テーマは3番目。それよりもこれは構成にこだわりたい。仮称は、マーラー7番から。5楽章でできている。この「5」という数字。そして「歌」。
構想では5章で成り立つ。「五段構成」。実は、日本にもこういう形式がある。浄瑠璃なんかがそうで、詳細はまあ置いておいて、和洋折衷の様式を試みる。それが「構成へのこだわり」。主題を提示し、展開し、再現する。そういう意味で「歌」である。
細かい題材はまだこれからで、mixiとの共通閲覧者は、実はその途中経過を知ることができると思う。


いま1つは、コレ。この駄文ブログのタイトルに「blog」とわざわざつけているのは、実は、先に「blog」がないものを想定しているから。当然、テーマは4番目。
構想では、ストーリーを物語るフヂワライ先生のストーリーを物語るという図式。
日記形式なので、すべては主観で語られる。フヂワライ先生からの視点からである。しかし、それでは何も話が進まないのでフヂワライ先生が「こばくち日記」の中でストーリーを展開させていく。
要するに、今、それを実験してみようかと、思っているわけである。「日記」と称しながらフィクションの世界を展開させようかと。もちろん、「日記」なのである程度の実経験が元になることはある。けど、基本的にフィクション。
だから、今後、このブログの一部分は「フィクション」になるかもしれない。
それだけの気力があれば。
ただ、もうかれこれ3年、駄文をなぐり書きしてきて「助さん、格さん、もういいでしょう」という気持ちでもある。
題材はやはり未定。ただ方向性は持っているので、それに沿った内容で進められたらとも思うし、方向性が多少変わってもいいと思う。いずれにせよ、ここでその進み具合は見てもらえればと。