栗山民也「演出家の仕事」

演出家の仕事 (岩波新書)

演出家の仕事 (岩波新書)

ちょっと業務上の都合により急遽読まなければならなくなったんよ。一晩で突貫工事。それでも何とかなるんやから、まあ、そこらへんは新書やね。
大手町にも丸善があって、こっちの方が日本橋より在庫多いんちゃうんか。長細い店舗を上に4フロア積み上げるというのが、今はなき河原町丸善に似ていて懐かしいというのか。
で、エスカレーターを上がってたら妙なコーナーが幅広に設置してあるんよ。
「○○のときに読みたい本」
仕事であるとか、落ち込んだ時であるとか、そういうシーン別にオススメの本を並べてある。それをもって「教養」という。
なわけないやろ。
真の「教養」というのは、蓄えてある知識や経験の中から引き出してこられるかどうかやろ。必要になったから読む、というような対症療法的なもんやない。ゆえに今回のワシの読書なんぞ典型的な対症療法で、まあ、今後の肥やしにでもなってくれたらそれでええとは思うが、これで人間性が深くなったとか勘違いしたらアカンと思う。
さて、買ってきた本を早速昨日の帰りに読み始めたわけよ。面白い。演劇の演出について述べられてるんやけど、内容はそっくりそのまま「人生の生き方」「仕事のやり方」に置き換えていい。
つまり、「演劇の演出で一番重要なことは『聞くこと』」と繰り返しているが、生きていくのに一番重要なこと、仕事をうまくやるのに一番重要なことでもあるんではないかと。聞いているばかりではダメで、聞いたことに対して返す。すると相手がそれに返事をくれる。そういう対話が舞台をよりよいものにしていくそうだ。
なるほど、演出家に言われたからその動作をする、というのは三流役者のヤッツケ仕事。一番楽ではあるが、それでプロとは言えまい。まず自分なりにどう動くかどうセリフを発するか考える。稽古でぶつける。相手役や演出家からダメが出る。
なんでダメなんだ、じゃあお前はどうしたらいいと思うんだ。オレはこうこうのほうがいいと思う。そうか、でも、それならこうしたほうがよくないか。なるほど、そうだな。よしやってみよう。
まあ、そんなとこやろうかね。一人では思いつかないが、他の人と話をしているうちにアイデアが浮かんでくる、あるいは元のアイデアから思いつく。そういうハッテン性が見込めるというわけだ。
それを、オレはしたいんだ。いや、僕はこうじゃないと嫌だ。勝手にしやがれ。とお互いが自分の意見だけ主張して一歩も譲らなければ何もハッテンしないし、むしろバラバラになるだけで、これでは初日は開けられない。
オレの話を聞けぇ、とシャウトしてみたところで、集まった全員が叫んでたら誰が話を聞くんよ? 喧嘩にしかならんで(いや、喧嘩にすらならん場合もあるわな)
はい。仕事に置き換えてみましょう。会議で自分の主張だけ言うて「ふん、勝手にしろよ。オレはしらん。手伝わん」という輩が多いわけですが、これでは全く仕事が捗らん。時には妨害工作までしてくる御仁までおられる。
ところが、相手の話を聞いて、向こうの意見のいいところ、悪いところを考える。自分の意見のいいところ、悪いところもある。お互いのいいところを採って「こうすればもっといいものができるんじゃないか」と進めていけば、ものすごく話が早いし、よりよいものができるわけよ。
しかし、そういうできた人間はなかなかおらんわな。
せめて自分だけでも心がけていったら多少マシになるんかしらん。