日本の騎手がいつまでたってもヘタクソな理由

凱旋門賞は正直驚いた。メンバーも強くないのである程度やれるとは思っていたが、まさか日本競馬史上最も優勝に近い凱旋門賞になるとはなあ。
好走の要因としては、一にも二にも「展開」。逆に言えば、ヴィクトワールピサの敗因も「展開」。
これは何もスローで差しが届かなかったとかそういう意味ではない。
19頭も出走してきたが、ほとんどの騎手は巧い。数人、日本人並のヘタレ騎手がいて、これが今回の勝敗を分けたように思う。つまり、フォルスストレートの前後のコーナーをいかに巧く捌くことができたか。
そこまではナカヤマフェスタヴィクトワールピサも勝ったワークフォースも先頭からの距離に差はない。最内にワークフォース、その外にヴィクトワールピサ、さらに2頭外にナカヤマフェスタ
ところが、この横位置の違いが明暗を分ける。フォルスストレートの入口でナカヤマフェスタの前が開いたのである。中団よりやや後ろにいた蛯名としたらここへ飛び込まなければ勝機はない。スッとペースを上げていく。この時、内の2頭は包まれたまま後退していったわけだからその差は大きい。
しかし、その直後にナカヤマフェスタはさらに内から膨らんだ馬に弾き飛ばされる。一旦ブレーキを踏んでしまった。ここで内の進路が少しだけ開くのを見逃さないのが世界一流の騎手たち。直線を向いたところで立て直したナカヤマフェスタが抜け出したが、内の本当にわずかなスペースを縫うように伸びてきたのがワークフォース。あれは騎手が巧い。同じような位置の武豊は外へ外へとはじき出されて加速し始めた時点でとっくに勝負は終わっている。
まずもって騎手の闘争心が違う。日本であんなところへ突っ込んでいける騎手はおらん。岩田でも内田でも無理。ましてや日本のヘタレ三流騎手なら手綱を絞ったまま下がって「前が塞がって」の言い訳一点張りだろう。それは何もしようとしなかっただけだろって。例外として大外一気大好き池添ケンちゃんみたいなのが強引に外へ持ち出すかもしれない。(その前に彼ならそんな内へ入らない。)
これは騎手学校のせいでもある。つまり、事故のないような乗り方をずっと教えてきているから、そんな狭いスペースには入ってはいけないのである。この考え方は間違ってないとは思う。技量のない騎手がやっても間違いなく事故を起こすだけだから、まず危険なことをしないようにと教えるのが当然の指導だろう。が、それだけで一流のプロ選手としてはやっていけないのだ。
今年の正月に新人騎手としてJRA記録を持っている若手騎手が大事故を引き起こしたことがあった。その時の関係者のコメントが奮っている。
競馬学校でも安全のために必ずラチから1頭分ぐらいはスペースを開けてコーナーリングするように教えている。」
そんなことしたら昨日の凱旋門賞なんかスルスルと内を掬われるって。ヘタクソなうちは余裕を持って走りなさい。しかし、ある程度の腕がついてきたら今度はそのマージンを徐々に減らしていって、究極ではきっちり閉じてしまうことが勝ちにつながる。もっとも、日本の騎手で一体何人がラチにピッタリつけたまま時速70キロ近いコーナーリングをできるかは疑問である。そこまでの腕力もなければ、そんなことすら考えたこともない騎手だってたくさんいるだろう。
世界のG田さんが「お行儀の悪い馬がいました」と言っていたが、日本の馬や騎手の「お行儀」が良すぎるのである。勝つか負けるか、生きるか死ぬかの勝負事をしているのに、彼らの感覚は「いかに綺麗な型で、反則をせずに、ゴールを決めるか」というサッカーと同じなのだ。G田さんや日本の騎手だけではない。日本のスポーツ界や評論家がそうなのだ。だから日本選手はフェアプレーなんだけれども勝負には勝てない。そんな型ばかりにこだわっていて点数を取れるはずがなかろう。
汚いことをしてでも勝ちにいけというのではない。形ばかり気にして綺麗にプレーすることだけを心がけているだけでは勝負には勝てない。精神論になってしまうが、勝ちたいんやという気持ちでがむしゃらにならなければいけない。お嬢さんの乗馬や球蹴り遊びをやっていては世界では通用しないということを言いたいのである。
その点、今回の蛯名騎手はわずかなチャンスをものにしようとした敢闘精神の結果、惜しかったが素晴らしい成績を残すことができたのではないだろうか。