損得

人は損得勘定でのみ動くものなのか?
自分の得にならなければやらない、損することはやらない。
本当にそれがいいのか?
たとえ得にならなくても、損をすると分かっていても、人間にはやらなきゃならないことがあると思う。その多くは義理からであったり、つきあいであったりするかもしれないが、自ら選択して行うこともありなのではないか。
損得や利害だけで計れるほど、人間は単純にはできていない。
何だか抽象的な話になってしまったが、どうも世の中、誰得とか利害だけで語られているのが気にかかったのと、自分の行動を振り返って、余りに打算的であることに憂鬱になってしまうのだ。自己嫌悪に陥り、他人も自分も信じられない自分がいる。それがたまらなく憂鬱なのだ。