参りました、舞城先生

僕がMDを使い始めた頃のことを書こう。まだその頃は周りでも使ってる人はほとんどいなくて、知っている中でも一人だけだった。僕はMDが出た当初からずっと欲しかった。CDが現れてレコードが姿を消していったようにカセットテープもMDに駆逐されると予想していたからである。友人のオーディオマニアは「DATの方が絶対に上。MDなんか不可聴域を切り捨てて圧縮してるから音が悪い」と言っていたが、その通り。でも、当時の僕はそこまで音にこだわらなかったし、第一、MDがカセットにとってかわるとしたら聴く場所は電車や車の中だ。そんなに音質を求めても雑音が入り込むので意味が無い。頭出しの早さ、編集の手軽さ。どう見てもMDの勝ちは目に見えていた。
僕はバイトを始めた。時給のいいのを選んだら、小学生相手の塾の非常勤講師だった。僕は受験戦争とかそんなのはあまり歓迎していないし、小学生のうちは思いっきり遊んでたらエエと思ってる。だから、かたっくるしいことはやらないで子供の興味を持たせるように努めた。
「家族について。ええ、分かりやすい例でいこうか。今日はサザエさんの家系について」と延々、授業時間40分やりました。
翌週、授業を終えた後に塾長に呼び出されました。「君、来週からもう来なくていいよ」
おう、上等やんけ、ワレ。そんな受験マシーン育成塾なんかこっちから、お・こ・と・わ・り・だ。貰うもんだけは貰って辞めたった。15万円。
こんなしょうもない銭、持っててもしゃあないし、全部使たれ! で、新宿のヨドバシカメラへ行ってMDコンポを買った。3万円のCDラジカセからなので大躍進。めっちゃ音ええわあ。
その年の冬、僕は仲間内での麻雀のツケに追われて再びバイトをせざるをえなくなった。時給のいいのを探すとまたお塾。今度のは仮採用期間があって、専任の講師の監修のもとで模擬授業をやり、ゴーとなれば正式採用。今度のは中学生相手なので多少、真剣にやりました。でも、慣れんことをするわけで失敗なんか当たり前。大目に見てくれよ。しかし、現実は、
「何やってんだ下手くそ。んなもんで中学生が理解できるかよ、バカ。だてに時給高くねえんだよ」
その場でチョークを叩きつけて「上等や! こんなとこ辞めたる。金なんかいらんわボケ!」
関西人に対して「バカ」は侮辱語ですわ。「アホ」は親しみがこめられてるけど「バカ」はホンマにバカにしてる。受験マシーン製造工場は性に合わへんわ。
でも、やっぱり金は必要で、帰りにフロムAを買おうと駅前のコンビニに立ち寄った。入口に「アルバイト募集」って貼紙がある。時給1050円。11時から7時まで。1回来れば8400円になる。週2回から3回って条件がある。でも、どうせ麻雀してるか酒飲んでるかやし、エエんとちゃうか。フロムAはやめて履歴書を買って帰り、書いて早速持っていった。
「うーん、フヂワライ君。何でウチでバイトしようと思ったの?」
「お金が欲しいからです」
「ああ、そう。何曜日がいける?今のところ、火曜と水曜と土曜がすぐに必要なんだけど」
土曜は麻雀やることが多いから困るな。
「火曜と水曜なら大丈夫です」
「ああ、ホント。じゃあ早速だけど、今週から来てくれるかな?」
いいとも! ていうか、こんなテキトーな面接でええんか?ええんか?ええのんか?
バイト決まったのが嬉しくって、しかも、コンビニって初めてやるし、結構、楽しそうだし何かウキウキするんよ。ちょっとチャリで走ってこよか。
真冬の深夜。近所の畑は霜がうっすらと降りている。僕は動きやすいジャンバーを羽織り、MDウォークマンを入れたリュックを背負って出かけた。MDはその頃、買ったばかりのoasis「Morning Glory」とその頃はまっていた篠原美也子というほとんど無名のシンガーソングライターのファーストアルバム「海になりたい青」

(What's The Story) Morning Glory?

(What's The Story) Morning Glory?

 
海になりたい青

海になりたい青

どんな歌に歌われるより どんな人が語るより
肌で感じるアスファルトは冷たい 故郷を後にして初めての夜

僕はペダルを踏みしめる。10時を回った東八道路は交通量が減り、その代わりに凄いスピードで車が走っていく。僕も負けずにギアを上げた。時速30キロ。調布市内を西へ向かう。吐く息が白い。

本当は一番愛してるはずのふるさとの言葉がなぜか
恥ずかしく優しさにも無口になった 故郷を後にして七日目の午後

いいじゃん。最高。武蔵境通りを左折する。交通量はぐっと減り深大寺へ向けてゆったりと下り坂の道をさらにスピードを乗せて走る。野川を越えて甲州街道に近づくと中央ハイウェイに向かう車が増え、道路は平坦になる。やや速度を落として終電間近になった京王線の踏切を越えていく。

見果てぬ夢をいつも語ったなつかしい言葉を話す友が
今日はなぜかうつむいてばかりいる 少し疲れた1年目

こんなとこで負けてなんかいられない。捨てる紙あれば拾う神あり。コンビニ、楽しそうじゃないか。いらっしゃいませ。777円になります。1000円お預かりします。223円のお返しです。ありがとうございました。やるよ、僕は。トイレ掃除でも万引き退治でも。
やがて橋が見えてくる。多摩川だ。橋の手前を左に堤防沿いを走った。河原へ降りる道がある。迷わずに行く。行けばわかるさ。深夜の野球場は人気がなく寂しかった。1塁ベンチの脇にチャリを停めて川の方へ向かった。いつも誰かが通り抜けているのか、高く茂った草木を刈り取ってある。テトラポットを踏み外さないように気をつけながら川辺までたどり着いた。ちょうど手頃な岩が転がっているので腰をおろして対岸をぼんやりと眺める。マンションの廊下の明かりだけがぼんやりと浮かんでいる。そりゃあそうだ。もう日付も変わっている。河原の石を手に取り、サイドスローで川面へ投げつける。石はホップ、ステップ、ジャンプと跳ねて、ポチャン。沈む。もう一度、繰り返す。今度は5,6度跳ねて対岸へ着地する。何度か繰り返す。その度に石は沈んだり、向こうの草むらに飛び込んだり。飽きるとまた岩の上に腰掛ける。水面は沈んだ石の波紋を広げながらも海へ向かう流れが押し流し袋の底で崩れたリングドーナツみたいに輪を描いている。その輪も消えて元の穏やかな流れに戻る。不動に見える多摩川に光がさしている。月光。よみうりランドの方から照らされている。水鏡に映った月は何度か歪みながら青白く辺りを輝かしている。

パレットには創りそこねた青
そして 私も海になれない青
海になりたい青

MDが終わる。MDを入れ替えて僕は帰路につく。月影が本当の月になるのにはもう少し時間が必要かもしれない。でも、きっかけはできた。この道を行くしかない。生きていくためには。


舞城王太郎阿修羅ガール」。これは賛否両論だろうな。この文体を受け入れられる人と受け入れられない人。とことん、登場人物に語らせる。時にはポイントを上げたゴチックも使う。こんなの文学じゃない。いやいや、見た目だけで判断してはいけない。いきなりセックスしてるし、変な怪物は出てくるし、≪天の声≫と名を変えているけれども読めばすぐに2ちゃんってわかる。2ちゃん用語も連発。言葉ってコミュニケーションの道具。その前提として相互に明確なルールが存在しなければ意思の伝達はできない。受け入れられない人は、このルールが理解できないんだろう。それはもっともだ。一部だけにしか分からない言葉を使っても万人には伝わらない。本質的にこのどん語日記と大差ない。だから読んでいてイヤになってきた。自分の文章を読んでいるみたいなんや。意味不明。突然、祭りは始まるし、グッチ裕三とか出てくるし。数十年もしたらここの部分、注釈が必要になるだろうな、当時のあまり売れないコメディアンとか。でも、読み進めていくとそのアルマゲドンも≪天の声≫も必要だったことがわかる。これがなくては成立しない。存在とは何か。難しく考える必要はないんだ。自分の思うまま生きればいい。それが自分なんだ。
ちょっと設定に失敗しているのは否めない。最も致命的なのは、女子高生である愛子。後半に活躍する桜月淡雪に言わせると「想像力が貧困」だから「もうちょっといろんな本とか読んだりしたほうがいいね」っていうぐらい浅はかな普通の、いや、頭の悪い、セックスしか考えられない女子高生、が、だ。魂の状態であるとはいえ、何で突如にデカルトが出てくる? 読んでないだろ。授業だって聞いてないだろ。
他のところは些細なことなので突っ込まない。でも、それを抜きにしても、なるほど評価されるには理由がある。こんなヘンテコな文章しか書けないと思いきや、一緒に収録されている「川を泳いで渡る蛇」を読めば、実はこちらが本当の文体だとわかる。「阿修羅ガール」は意識して作られた文体だったんだと。こちらは神の存在について。僕は神は信じない。神がいれば馬券が外れるなんてあり得ない。馬頭観音にお賽銭を投げ入れて「馬券が当たりますように」ってやればみんな的中。そんなこと、絶対にないし。でも、結論は同じ。自分の力で生きていくしかない。神がいても無力。不完全な神。手足がない蛇に喩えられる。そこには暗闇の多摩川が描かれている。でも、同じ多摩川の、同じ場所でも見る位置、時間によってその姿は全く変わるのだ。でもやっぱりそこにあるのは同じ多摩川。彼は朝の光の中に神が見えたか? 僕には見えない。そこにあるのは現実なのだ。僕は三途の川に擬せられた野川を越えてやってきた。神の渡る多摩川も見た。それでも、神が見えるようになるまではまだ時間が必要なのか? つらいのお。生きぃよお。ホンマやで。

阿修羅ガール (新潮文庫)

阿修羅ガール (新潮文庫)

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