青山七恵「ひとり日和」

ひとり日和

ひとり日和

この作品に、現代日本の縮図が見られる気がする。無気力、無関心、無目的。何のために生きてるのかとか、他人への関心とか、そういったものがない登場人物たち。「恋」だとか何だとか言うけど、大したもんじゃない。単なる寂しさを紛らわすためでしかなくて、何の考えもなくて、まさに「何か(考えが)浅いな」という基礎どん語どおり。
文体はそれにマッチしていて、ほんとのっぺりとしたのんが淡々と続いていく。
はっきりいうと、つまらん。毒にもならんし、栄養にもならん。描写はきれいなところはあるけれども中身がないんでは観光地の絵葉書と一緒。チェロキーの写真になっていくんやろうな、過去の数々の芥川賞受賞作とともに。思い出の詰まった箱の中身を一つ一つ額に置いていくように。
僕は思う。過去は捨てるもんやない、積み上げていくもんやと。どんなに後悔したことでも、恥ずかしいと思うことでも、捨てるのは簡単や。けど、ゼロから始められる、そんな勘違いは全くの見当外れで、捨てたと思った過去がどこかからまた戻ってくる、ゼロから始めなおすことはできない。なぜか。過去を捨てるということは、そこまでの自分を捨てることであり、そこ(現在の自分)につながるものを捨てることは現在の自分を否定することでもある。現在の自分を否定して未来があるのか? そんな簡単なもんやないやろ、生きていくということは。
いいことも悪いことも全部背負っていかなければならない。それが生きるということやろ。そして、それを墓場まで持っていくこと。それが死ぬということやろ。

秘密の入口