ゲーテ「ファウスト(二)」

ファウスト(二) (新潮文庫)

ファウスト(二) (新潮文庫)

さて第二部。
こっちはうって変わってギリシア神話やらをモチーフにとってのあてつけ。今の時代から読んだら何のこっちゃいなという感じではあるが、まあ、文学なんてそんなもん。現代性。
何がすごいかというと、その豊富な知識。浅学なワシにはそれらが全て正しいのかどうかは分からんが、名前が出てくる、それらを誰それに見立てて滑稽な役割をさせる、馬鹿にする。今で言うなら某巨大掲示板で揶揄するようなもの。そういった役割こそが本来の文学が持っていたものなんやろう。今はネットがその代わりを果たしているので、あえて批判的は小説を書く必要もない。ただし、ネットが普及しすぎたおかげで文責というものが薄れてしまった。というよりも全く自分の文章に対しての責任感というものがなくなってしまった。
文章だけではない。多くの言動について、「責任」というものが持たれていない。一市井の者だけでなく、テレビに出てくる人たち(芸能人もアナウンサーも)、マスゴミ(彼らは確信犯なのでタチが悪い)、政治家さえも責任など最初から全く感じていない。責任回避すら感じられる。
まったくこのメフィストフェレスめが。
いやそうなんよ。全てはファウストが望んだから、それを逃げ道に実は自分のやりたい放題。まったく悪魔的である。そして、その悪魔はファウスト絶命後、どうなったか。やれやれ、やっと面倒な奴さんが片付いて自分のものになったわいと。そう思ったのも束の間で、あっさりと天使のワナにはめられて長年「ワシが育てた」ファウストを横取りされてしまう。そして、それをざまぁとほくそ笑む我々がいる。
悪魔めは、自分の利益だけのために奔走し、結局徒労に終わる。
「本当の悪魔はむしろお前たちだ」と最後に悟るが、時すでに遅し。
しかし、続きは、そんな悪魔的な天使たちでさえ手に負えない天から見下す、本物の悪魔がいるわけだ。いわゆる、上から目線の。
人間、もっと素直に、純真にならないといかんですよ。というその心こそが悪魔的。そういうことは言葉にせずにただ黙って実行すればよろしい。まあ、そういうことよ。
(と、思うワシは自分に言い聞かせるべきであるな)