マフラーがつなぐ絆
1997年6月1日午後3時半府中市。僕は7、15、18の3つの数字が記載された名紙片のような紙を手にしていた。1ヶ月ほど前に見たように18が逃げ、15は後ろから。2000mでも2400mでも結果は同じだった。
牝系からは目立った活躍馬もほとんどなく、生産した牧場も育てた厩舎も馬主もビッグレースでの実績はなく、乗っている騎手もロートル。そんな馬が先頭を譲ることなく逃げ切ってしまった。勝利騎手インタビューでの名言は日本ダービー史に語り継がれる。「1番人気はいらない。1着がほしい。」 そんな四人と一頭を結びつけたのはサニースワローという名前の牡馬。1987年のダービー2着馬だ。これを生産したのが村下ファーム、管理したのが中尾銑治調教師、ダービーの手綱を取ったのが大西直宏騎手。馬主は宮守保。サニースワローの妹がサニースイフト。このサニースイフトが産んだ仔馬は「サニーブライアン」と名付けられ、母や叔父と同じ馬主が同じ厩舎に預託し同じ騎手が騎乗した。こんな運命的な瞬間に立ち会えたこと、努力を続ければいつか願いは叶うこと。僕は馬券の当たり外れのことは忘れて「大西」コールを続けた…
しかし、現実は非情だった。家に帰った時に残されていた僕の全財産は財布の中の千円札1枚と銀行預金の50円ばかり。次にまとまった金が入るまで1週間ある。親にだけは泣きつかない。これは僕が博打を打つ時に決めた約束だ。博打の金は自分で稼ぐ。しかし、困った。1日当たり150円ではボンカレーを3倍に薄めても*1生活できない。
「困った時は貸しますよ」
1年前にMが井の頭公園で僕に話してくれた言葉だ。うーん、困った。困った時なんだが困った。Mとはもう切れていたからだ。とは言え、生活ができないのも困る。しばらく考えてやっぱり電話をかけることにした。「ちょっと貸してくれないか」 Mは言葉を濁してちょっと時間がほしいと言い電話を切った。ほんの数分の電話なのに随分とエネルギーを消耗してしまった。金がない時は寝るのが一番。寝ていれば腹も減らないし余計な金も使わない。
真夜中に電話のベルで僕は起こされた。かけてきた相手は僕も知らないわけではなかったが全く意外な相手だった。
「Mに金を貸してほしいって電話したらしいじゃないか」
寝ぼけている僕は事の前後がよく把握できていなかったが、そのことは事実だったのでああとかうんとか適当な相槌を打っていた。
「金なら貸してやるから二度とMに構わないでほしい」
明日の昼に池袋でと約束をして電話は切れた。翌朝、電話の内容を整理して愕然とした。さて、本当に借りに出かけていいのだろうか・・・
結局は出かけた。1万円借りて翌週に返した。こんな借金はいつまでも抱えておきたくなかったし、1万円ごときでいつまでもつながれているのも嫌だった。あれから8年経った。今ではMも電話の主も行方は知らない。
瀬尾まいこ「幸福な食卓」をムジカで一気に読了した。本当の「幸福」とは何だったのだろうか。一言で表せば「絆」。作中の小林ヨシコの台詞に集約されている。
「家族は作るのは大変だけど、その分、めったになくならないからさ。」
家族であれ恋人であれ親友であれ、結局は他人であり、他人の考えを読み取ることは到底不可能なことだ。怒ってそうだとか嬉しそうだとか大体の予測はできても完全に読み取ることは絶対にできない。その隙間を埋めるために言葉があり、仕草や表情がある。だが、その程度は人によって差があり最も程度の高いのが家族だ。たとえ家族がバラバラになっていてもそれは変わらない。お互いが守りあっている間は。守りあうことで絆をより強いものにできるのだ。
近年、学級崩壊、家庭崩壊などが問題となっている。その根底にあるのが「家族の絆」ではないだろうか。核家族化、少子化により家族の構成人数が減少し、共働きが当たり前になり、親子のコミュニケーションも減少した。親が子を理解する時間は減り、代わりに子に費やす金額は増えた。しかし、絆は金では買えない。親は子供を守っているつもりでもそれは一方通行であり、自己満足でしかない。子供からのフィードバックがないからだ。こういった状況を象徴しているのが、「親の都合」で引越していく坂戸家だ。逆に中原家は一見家族が離散しているが、父が自殺未遂を起こした際に兄妹がとった行動から強く結びついていることが分かる。兄は父の自殺の動機を理解しようとし、妹は父を助けるために救急車を呼ぶ。子が親を理解しようと努め、守ろうとしているのである。元々は父とは他人であった母だけが精神的にバランスを崩し、一旦、家族が離散している形になっているが時間が経つにつれて回復していく。子供を通じて自分の夫への理解を深めてきたからではないだろうか。
また、坂戸家と同様な問題を抱えているのが、佐和子の所属する西高三組だ。ここではアメリカ的合理主義の担任と今時の生徒たちの関係が完全に断裂している。間に挟まれた学級委員の二人は会社で言えば中間管理職。部下を理解しようとせずに社の利益だけを考える上司と「自由」「平等」の名のもとに歪んだ教育を施され自分勝手になってしまったヒラ社員。お互いが自分たちの利益だけを要求するので衝突するのは当然だが、その両側から攻撃される者はたまったものじゃない。これを巧く乗り切るためには双方の利益が上るような処世術を駆使するしかない。しかし、こんな上辺だけの処世術など表面的に問題を解決するだけであって根本的には変わらない。だから何度も同じようなことが繰り返される。そんなもんお前、おんなじことの繰り返しよ。本当に必要なのはお互いを理解することであり、お互いを信用することだ。難しいことだが、そうすることでしか絆は結ばれない。家族には「血」という生まれ持っての絆があるので少ない努力でこれを維持できるが、他人とこのつながりを築くのはとても困難なのだ。先に出てきた坂戸君は同じことの繰り返しで自然とこれを理解してきた。だから、最初に佐和子を試してみたのだ。
「絆」を象徴する小道具として最後に「マフラー」が登場する。「合理的じゃない」と言いながらも佐和子が大前、じゃなかった、大浦君のために編み、母さんは夫と我が子のために編み、そして大浦君は佐和子のために買う。大浦君はマフラーを買ったのだ。「絆」は金では買えない。それがたとえ汗水垂らして働くことで得た金であっても。金で買おうとした絆は断ち切られてしまった・・・
悲しい物語なのに温かみがあるのは、そこに家族の愛が感じられるからであり、それが現代社会に欠乏している故に読まれ、賞賛される。ただの感動物語ではなく、現代社会の問題を浮き彫りにした作品として素晴らしい。また、とてもシンプルな文体は読みやすく受け入れられやすい。だから、読まれる。最近の小説の傾向としていわゆる「美文」ではなく、必要のない修飾は極力取り除かれた文体が目立つ。読みやすいのだが、今一つ手応えに欠ける。「芸術」としての文学を考えた場合、「内容」もさることながら「文体」も一つの要素である。絵画に喩えれば、「内容」は「テーマ」であり、「文体」は「様式」である。三島由紀夫以来、読み応えのある美文が絶えて久しいのは残念なことだ。
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