ゲーテ「ウィルヘルム・マイステルの遍歴時代(中)」

この中巻でハッとさせられたのは半ば以降の芸術論。
ここにゲーテの考えていた芸術論が集約されているともいえるのではないだろうか。
ウィルヘルムが遍歴先で議論した内容もさることながら、抜書きのようにまとめられている巻末の50ページほどにわたる「遍歴者のこころにおける省察」。「芸術・倫理・自然」と銘打たれているが、実質的には大半が芸術で占められている。

素人芸術家は、可能なかぎりの仕事をしたあとでも、きまって、仕上げはまだだと良いわけをするものである。もちろん、仕上がりっこはない。もともと正しく始められていないのだから。
(中略)
仕上げられていようと、いなかろうと、作品はすでに完成しているのである。

これは似たような話をバリバリ現役辣腕編集者でもある【牛乳の宴】先生からも聞いたことがある。その時は「モノになるヤツは、とにかく持ち込みでもなんでも持ってくる。うだうだと『今、作ろうと考えているところです』と言うヤツは大体が結局は「考えている」だけで終わる」とかまあそんな類の感じやったとですね。
まず実行あるのみ。

とにかく芸術家はせめて半年だけでも実践的にこれを試みて、目の前の自然物を絵としてまとめ上げるつもりがないなら、木炭も絵筆も使いはじめてはいけない。

まあそういうことよ。
これは絵描きに限らんよね。

作家は表現だけが頼りである。表現の最高のものは、それが現実と競い合うときである。換言すれば、表現が精神によってきわめて生きいきとさせられ、現在そこにあるものとして誰にも通用するようになるときである。

作家に限らず、ここみたいな駄文撒き散らしでも同じことが言えるのかもしれない。
ブログの場合、写真やグラフィックが使えるので完全に「表現だけが頼り」とは言えないけれども、最終的に写真などを織り交ぜて「現在そこにあるものとして誰にも通用する」というのが書き手としての理想やろう。できれば文章だけで。


忘れた頃にまた読み返そうと思う。