夏目漱石「彼岸過迄」

ワシにとって漱石は読書という習慣を身につけた時分の2つ目か3つ目くらいの扉で、主だったものは読んでいる。中でも「こころ」をはじめとするいくつかは何回読んだか分からんし、何回読んでも面白い。大学に入った頃は「三四郎」なんか何遍読んだか。
最近思ったのは、漱石の文章というのが意外に簡素であるということ。
読みにくい本というのは、一文が長かったり、指示代名詞が多すぎて何を指しているのか考えるだけで時間がかかってしまったり、挙句には本筋ではなく文章のつながりやらを考えているうちに訳が分からんようになってくる。
漱石の場合、たとえば「彼岸過迄」でいえば、出だしから

敬太郎はそれほど験の見えないこの間からの運動と奔走に少し厭気が注して来た。

単純に「主語+述語」の間に2,3の修飾語が挟まっているという形である。
次の文は長いが、

元々頑丈に出来た身体だから単に馳け歩くという労力だけなら大して苦にもなるまいとは自分でも承知しているが、思う事が引っ懸ったなり居据って動かなかったり、または引っ懸ろうとして手を出す途端にすぽりと外れたりする反間が度重なるに連れて、身体よりも頭の方が段々いう事を聞かなくなって来た。

これを分解すると、「〜, but〜」という構造になる。「苦にもなるまいと自分でも承知しているが、身体よりも頭の方がいう事を聞かなくなって来た。」というのが基本となり、なぜ苦にならないかの理由、頭がいう事を聞かなくなって来た最近の状態を付加している。簡単な造りである。
さらに言えば、1つ1つのセクションが非常に短く、それぞれにヤマや次への伏線などが張り巡らされていて、読んでいても飽きが来ないし次々と読み進めてつい時間を過ごしてしまう。
これは漱石の作品の多くが新聞小説であったことに由来しているだろう。連載という形式なので次回へのお楽しみを用意しなければならないし、紙面も限られているので長い文を連ねるとその回では何も話が進まなかったりする。そういった制約というのか枠組みを受けての漱石の文体だろう。
漱石がイギリスへ留学していたということもあると思う。
日本語の文章では主語や述語を省略することも多く、実際、平安時代鎌倉時代の古文を読む時にもっとも難儀なのが「省略」だということを考えれば分かる。ところが、漱石では省略はあまり見受けられない。
それどころか、主語、述語、修飾部分の並べ方もある程度の法則性みたいなものがある。
「主語+修飾語+述語」が基本で、そこから逸脱する文はそう多く見られない。それは「SVOC」とか単語を並べる順番で主語になったり目的語になったりする英語の影響なんではないかと考えたりするのだ。
だから、漱石の文章を書写していると整った日本文に気付かされるし、継続することで身に付けられるんではないかと思う。ワシが国語の教師であったなら、毎日でも写させる。自分では中々続けられないが(苦笑)。
そういうわけで、漱石の作品は読みやすく、また、何度読んでも苦にならないのだろう。クセのある作家の場合、好き嫌いが明瞭しやすいが、漱石を嫌いだというのはあまり聞かないのもそういうことじゃないかな。
さて、「彼岸過迄」は、読み始めたところでは筋を半分ぐらい忘れかけていた。ところが、読み進めて小川町の停留所の件あたりまで来て思い出した。大した筋ではない。「こころ」の対になるような心理小説やったねと。誰も死にはせんし、刃傷沙汰になることもない。ものすごく平和な小説なのだが、心理的には人二人ぐらい死んどる。まあ、そういうことよ。
そこまで思い出して、小川町辺りの靖国通りを思い浮かべながら読む。作中に出てくる風景は、今はない。